いちこの趣味畑

色んな趣味を育てます。畑仕事はしてません。

小学校の卒業式の日、1人で花道を歩いた記憶独白

 

 ふと思い出した話をさせてください。

 

 私は小学校の卒業式、周りの子たちが両親と手をつないで歩く花道を、一人で歩いた。

 

 その日は母も父も、私の卒業式のために仕事を休んでくれていた。私は長女だったから、両親にとっては「娘の初めての卒業式」だったみたいで。平日にあった卒業式のために、わざわざ仕事を休んでくれていた。卒業式も、遡って入学式も、もっと遡って卒園式も入園式も、生まれた瞬間からすべて。長女の私のイベントは、両親にとっても親目線で見る初めてのイベントだったようで、私は人生で経るたくさんのイベントを割と大切にしてもらっていたと思う。

 

 それでも、わたしは自分の卒業式に対して、大きな期待はしていなかった。作られた感動の舞台が苦手だったという性格もあるが、それ以上に、その頃の夫婦仲が良くなかったことが大きな要因だった。卒業式は、親が子供の門出を祝う日でもある。私の両親の仲は完全に冷め切っており…冷め切っていたら、むしろ良かったのだろうか…険悪であり、一緒に門出を祝う雰囲気にはならないだろうと思っていたからだ。

 小学5年生の頃からなんとなく察していた、自分の両親の雰囲気に対する違和感。それがぬぐいきれなくなっていったのが、ちょうど小学6年生の頃だった。私の卒業式に関する話でもひと悶着あったことは…両親は私が聞いていたことは知らないだろうけど…二人で夜、真剣に話し合っていた内容を盗み聞きしたことによって私も聞いていた。だから当日は父か母どちらかが来て、できるだけ平和に終わればいいなと思っていた。

 しかし、卒業式当日である。両親それぞれに話を聞いたら、どちらも仕事を休んだというのだ。

 卒業式当日は、他の家庭は親が座るエリアに夫婦で座って、卒業証書を受け取る子供たちを見守っているのだろうな。私の家だけ、きっと夫婦そろわず片方の席が空いているのだろうな。私の両親は仮面夫婦で、汚い言葉を使うならば「外面がよかった」から。片親しか来ていないことを見たら、ママ友たちは話題が出来たと喜ぶんだろうな。噂好きのあの子のお母さんはきっとなにがあったか勝手に予想をたてて、あることないこと触れ回るんだろうな。そんなことまで考えていた。

 しかし、卒業式当日、である。両親がともに仕事を休んで(正確には父は全休、母は午前中半休をとって)、卒業式に来てくれるのである。私は正直とてもうれしかった。当たり前だ。私は12歳だったのだ。

 

 卒業式数十分前。先に会場についた父に会って、おめでとうと言ってもらえて。きっとわたしははにかみながらありがとうと返したのだろうな。そのまま父を席に案内しようとしたけれど、携帯電話に連絡が入って、父はまたあとでと言いながら会場を出て行った。

 卒業式数分前。相変わらず行動がギリギリな母が慌てて会場に入ってきて。おめでとう、と私に言った後に、

「今日、あの人(父)、来るの?」

と私に聞いてきた。自身の旦那が娘の卒業式に来るかどうかすら把握できないくらい、必要な会話はなく、交わす会話は相手を攻撃するための言葉ばかり。当時の家庭内の状況が如実に表れている質問だな、と思った。

 が、今日は私の卒業式である。質問してきた母に「来るよ」と返し、そのまま「お母さんの席はこっちだよ」と手を引いた。母は私に手を引かれて素直に席の前まで来て、座って、近くなった目線、そして、母は私に目を合わせて、言った。

「お母さんね、あの人が来るならば、卒業式には出ない」

 その時の私がどんな表情をしていたかは、ドローンに外から撮ってもらわないとわからないけど、その当時ドローンなんてないし、あったとしても撮ってもらわないけど、とにかくわからない。予想だにしなかった発言に、その時点でももう十分頭は真っ白になっていたのに、母は知ってか知らずか。きっと当時は自分のことで精いっぱいで、本当に知らず、だったのだろうけど。知ってか知らずか、さらに言葉を続けた。

「あなたは、お母さんが育てたんだから、お母さんに卒業式に出てほしいよね?」

「あなたは、最後の花道を、わたしと手をつないで歩きたいよね?」

「あなたは、お父さんには卒業式に出てほしくないよね?」

 

 畳みかけるように入ってくるキャパシティを超えた言葉に、私がなんて返したかはわからない。私のその日の記憶はそこから20分くらい飛んでいて、次に覚えているシーンは、卒業証書を受け取った瞬間からになる。

 卒業式では、体育館に集まって、卒業生はパイプ椅子にクラスごとに並んで座る。卒業証書授与では、全生徒の名前が一人ずつ呼ばれ、呼ばれた生徒が大きな声で返事をし、立ち上がる。会場に背を向けて壇上に上がり、校長先生から証書を読み上げてもらい、受け取り、先生に向かって礼をして、回れ右で振り返り、会場全体に礼をして、壇上から降りる。

 この、振り返り会場全体に礼をする瞬間から、私の次の記憶は始まる。

 振り返った瞬間見える会場全体。私が母を案内した席は、空いていた。かわりにその隣の席に父が座っており、目が合った瞬間に無邪気に笑って小さく拍手をする真似をしていた。多分、わたしはそれに少し笑って返した。

 そこからきっと卒業生代表の感動的な話があったのだろう。在校生からの1か月以上練習してきた歌もあったのだろう。卒業生も感謝の気持ちを込めて何か歌い返したはずだ。

 でも、どうでもよかった。私の卒業式はもうその時点で終わっていた。興味がなかった。ただの、証書をもらう日である。もとからどうでもいい日なのである。

 でも、どうでもよくなかったんだよ。

 でも、もう、どうでもよくなっていた。

 

 在校生、卒業生、先生方からの出し物のようなものがすべて終わった。卒業生は在校生の拍手が響く中、吹奏楽の音楽に合わせて、歩いて退場する。退場の道は、5年生が作ってくれる花道である。花道の入り口で待つ両親と手をつないで、中を歩いて退場するようになっている。

 もちろん仕事の都合上、両親がそろってない家庭もあった。実際に入口近くに行くまでは考え付かなかったが、見渡したら、普通にそんな家庭も多かった。その家庭のほとんどは母親が来ていたが、でも、夫婦そろっていることは絶対条件ではなかった。それを見て少し安心した。わたしが父と歩くことが「普通」であると認識できたからだ。

大丈夫、普通だ。

お父さんと花道を歩こう。

 

そう思って見た先に、父はいなかった。

 

 私はそのまま、手をつなぐ人がいないまま、一人で花道を歩いた。

 鳴りやまない拍手の中、一人で花道を歩いた。

 会場である体育館は思ったより広かった。

 出口は思ったより遠かった。

 けど、

 ちゃんと泣かなかった。

 

 会場を出て、クラスに戻る途中に、父に会った。父は母からメールが入っていたと言った。「わたしの娘と歩かないで」。メールにはそう書いてあったと言った。私に対する謝罪の言葉と共に、卒業式に来ないなんてひどい母親だと、母をののしるような言葉を吐いていた。

 クラスに戻って、先生の最後の話を聞き、解散して、下校する直前に、母に会った。母は無邪気におめでとうと言ってから、「最後の花道、一人で歩いていたの、あなただけだったよ」。そう教えてくれて、私を一人で歩かせるなんてひどい父親だと、父をののしるような言葉を吐いていた。

 私はその後、同じクラブ活動をしていた子や、同じ通学団だった子、同じ習い事に通っていた子達と集合写真を撮った。そして家に帰った。家に帰ってからは、その日の記憶はもうない。

 

 これが私の小学校の卒業式の日の思い出である。